高利貸とは金銭貸付業者 《金融・不動産・弁護士》

「質物」をとらないかわりに短期間の貸付で高い金利をとる、「質貸」と並ぶ近世民間金融の主役である。

鎌倉期の「借上」、室町期の「土倉」など貸金業の由来は久しいが、「高利貸」の名称は江戸期のもので、「高歩貸」と上方ではよんだ。

もっぱら自己資金を短期限で貸し付け、多く「元金」から「利息」を差し引いて貸し渡した。

いわゆる「天引」「天利」「踊り」の形である。

そのほか「礼金・筆墨料」などの名目で余利をむさぼるものさえあった。

「抵当」の要らぬ簡便な金融で、生活費にも窮迫する庶民の要望には適合したが、当然暴利に苦しむ人々も多く生じた。

そのため、規制の「制令」も幾多発布されたが、その効果はさしてなかったらしい。

近代社会で高利を禁止した最初の法律は利息制限法で、日本では1877年に制定され、金銭貸借上の異常な利息を規制してきた。

またこれと並んでしばしば小口貸金業者の高利の貸付規制を求める試みもあった。

第二次世界大戦後は、激しいインフレ下にいわゆる闇金融が横行したので、1949年に「貸金業等の取締に関する法律」が制定され、貸金業の業務内容に規制が加えられることとなった。

さらに1954年には利息制限法が新しい経済状勢に適合するものに改められるとともに「出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律」が制定されて「貸金業等の取締に関する法律」にかわることとなり、高金利の処罰や金銭貸借媒介手数料の制限などが実施された。

また1972年には、社会政策的な意図のもとに貸金業者を近代的な庶民金融として企業金融化することを意図して「貸金業者の自主規制の助長に関する法律」を制定、都道府県ごとに庶民金融業協会を設置し、同協会を通ずる指導によって高利取締りを実施した。

しかし近時、小口貸金業者による貸付が、意識的な過剰融資、暴力的な取立て、暴利をもたらす超高金利として社会問題となり、その結果、1983年には新たに「貸金業の規制等に関する法律」が制定されるとともに出資法が改正され、過剰貸付および誇大広告の禁止、上限金利の段階的な引下げ、取立て行為の規制などが行われることになった。
update:2010年02月23日